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仙台地方裁判所 昭和53年(行ウ)5号 判決

原告

菊田昇

右訴訟代理人

佐々木泉

佐藤唯人

長澤由紀子

被告

社団法人宮城県医師会

右代表者理事

亀卦川守

右訴訟代理人

小山田久夫

高橋勝好

被告

右代表者法務大臣

坂田道太

右指定代理人

佐藤康

外四名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告の本件取消処分〈編注・昭和五三年五月二四日付をもつて原告に対してなした優生保護法一四条に基づく指定医師の指定を取消す旨の処分〉及び本件却下処分〈編注・昭和五三年一〇月三〇日をもつて原告に対してなした優生保護法一四条に基づく指定医師の指定申請を却下する旨の処分〉の取消を求める各請求は、右各処分が行政事件訴訟法三条二項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」(以下「行政処分」という。)に該当することを前提にして、処分の取消の訴えとして提起されたものである。

そこで、まず、本件各処分が行政処分に当たるか否かにつき検討する。

1  優生保護法(以下「法」という。)一四条一項によれば、都道府県の区域を単位として設立された社団法人たる医師会(以下「医師会」という。)は、法所定の人工妊娠中絶を行ないうる医師を指定する(以下この指定を単に「指定」という。)権限を、同条項に基づき、直接に授権されているものと解するのが相当である。

2  指定の法的性質について考察する。

(一)  法二条二項によれば、「人工妊娠中絶とは、胎児が、母体外において、生命を保続することのできない時期に、人工的に、胎児及びその附属物を母体外に排出することをいう。」のであるから、たとい医師が、婦女の嘱託を受け又はその承諾を得てこれを行なつたとしても、その行為は刑法二一四条の業務上堕胎罪を構成するのである。ところが、法一四条一項は、指定を受けた指定医師は、同項各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行なうことができる旨規定している。してみると、指定は、本来医師であつても行ないえない人工妊娠中絶を、一定の場合に適法に行なうことができる指定医師たる資格ないし地位を医師に付与する性質のものであつて、業務上堕胎罪の違法性阻却事由の一部を構成するものであると解される。このような性質を持つ指定は、単なる私法人が本来的にこれを享有しうる権限であるとは到底考えられず、もともと国の権能に属するもので公権力の行使に当たる行為であると考えるのが相当である。

(二)  さらに、右指定は如何なる性質の行政処分に属するものと解すべきであるかについてもここで検討するに、右にみたとおり、指定により、医師は、刑法上堕胎罪の規定によつて禁止されている人工妊娠中絶を適法に行ないうる指定医師の資格ないし地位を取得するのであるところ、これを禁止の解除という面にのみ着目するなら、あるいは講学上の許可に該当すると考えられなくもないかもしれないが、そもそも人工妊娠中絶という行為は、単なる行政目的のために行政法規によつて禁じられているというのではなく、人倫秩序の維持を目的とする刑法典により自然犯たる堕胎罪として禁じられているものであつて、本来、何人も(医師を含む)これを行なう自由を持たない性質の行為である。法は、このように本来人が自由に行ないえない堕胎の行為について、積極的な行政目的、すなわち、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護するとの目的(法一条参照)の実現のため、特定の医師に対し、これを適法に行ない得る特別な法的地位を特に付与するため、指定の制度を採用したものと理解される。そうすると、指定は、講学上の許可には当たらず、むしろ特許に近い性質を有するものとみるべきである。すなわち、この点において、指定は、例えば医師免許(医師法二条)が、本来、人が職業選択の自由という観点から自由に行ないうる筈の行為である医業について、危険防止、公衆衛生の保持などの警察目的から行政法規(同法一七条)をもつて一般的に禁止したのを、特定の者に対して解除して自由を回復させる性質のものであるが故に、講学上の許可に当たるものと解されるのとは、行政処分としての性質を互いに異にするというべきである。

3  ところで、行政事件訴訟法三条二項にいう「行政庁」とは、国又は公共団体から公権力の行使の権限を与えられている機関をいい、そのような権限を法律によつて付与されている限り、国又は公共団体の機関に限らず、私法人であつても「行政庁」たりうると解すべきである。医師会が、公権力の行使たる指定を行なう権限を法によつて授権されていることは、前記説示のとおりであるから、医師会は、指定に関する限りにおいて、行政庁とみるべきである。

4  してみると、このような指定を取消した本件取消処分及び指定の申請を却下した本件却下処分もまた、いずれも行政庁たる医師会が公権力の行使としてなした行政処分と解されるのであり、したがつて、抗告訴訟の適法な対象となるものであると考えられる。

以上の説示と異なる原告及び被告国の主張は、いずれも採用しがたい。

二被告国は、本件各処分が別個独立の処分であり、相互に関連性がないことを理由に、本件取消処分の取消請求に追加的に本件却下処分の取消請求を併合することは許されない旨主張する。

しかしながら、本件各処分がなされた理由が共通していることは主張自体から明らかであり、本件却下処分の違法性の有無を決するには、本件取消処分の違法性の有無が前提となると認められるから、行政事件訴訟法一三条六号所定の相互に関連する請求と解して何ら差支えないというべきである。

三本件取消処分の適法性について検討する。

1  請求原因1(一)の事実は、当事者間に争いがない。

被告医師会が、原告に対し、昭和二八年以降、法所定の指定医師の指定をなし、その後原告が秋田県医師会に所属した期間を除き、二年毎に指定の更新をし、最終的には、昭和五一年一一月一日付をもつて指定医師の指定(指定の更新)をしたこと、被告医師会が請求原因1(四)のとおり本件取消処分をしたこと及び原告が同1(五)のとおり、これに不服の申立をしたが、右申立は却下されたことは原告と被告医師会との間で争いがなく、被告国との関係では、〈証拠〉により、右各事実を認めることができる。

2  原告は、指定を取消す権限が法律によつて医師会に授権されていないことを理由に、被告医師会には、本件取消処分をする権限がない旨主張する。

ところで、右1で確定した事実及び弁論の全趣旨によれば、本件取消処分は、昭和五一年一一月一日になされた指定について、原告が昭和五三年三月一日に医師法違反等の罪により罰金二〇万円に処せられたことを理由として、将来に向かつてその効力を失わしめるものであることが明らかであり、昭和五一年の指定時に存した違法又は不当な事由を理由として、指定の効力を処分時に遡つて失わしめるというものではないと認められる。すなわち、本件取消処分は、講学上の行政処分の撤回に当たると解される。

一般に、行政処分は、公益の実現を目的とするものであるから、事情の変遷に即応し、その結果が常に公益に適合することが要請され、行政処分がいつたん適法有効になされた後において事情が変遷し、それを存続せしめることが公益に適合しないことになつた場合には、これを公益に適合せしめるため、法律による明文の規定が存すると否とにかかわらず、原則として自由に行政処分の撤回をすることができ、ただ、国民に権利又は利益を付与する授益的行政処分については、相手方の責に帰すべき事由によつて撤回の必要性を生じたような場合を除き、撤回は許されないと解されている。

当裁判所も右の見解を正当と考える。これを本件についてみると、指定は、適法に人工妊娠中絶を行ないうる資格ないし地位を医師に付与するものであるが、それが堕胎罪の違法性阻却事由の一部を構成するものであつて、極めて公益的かつ倫理的な性格を持つことに照らすと、単なる授益的な行政処分とはいうことができず、医師会は、指定をした後に公益に合致しない事情が生じた場合には、法律による明文の根拠がなくとも、指定を撤回することができると解するのが相当である。原告主張のように、明文の授権規定がないことのみを根拠に指定の撤回はなしえないというのは、妥当な解釈とは考えられない。

よつて、原告の右主張は採用できない。

3  指定の撤回のための要件について考察する。

法は、右要件はもちろん、指定医師の資格要件ないし指定基準等についても何ら明文の規定を置いていない。しかしながら、法の趣旨に照らし、指定のための要件としては、次のように解釈することができる。

すなわち、昭和二七年五月一七日法律第一四一号による改正前の法一三条、一四条によれば、現行法一四条一項各号に定める人工妊娠中絶を行ないうる場合の要件のうち、一号の一部、四号及び五号に定める事由については、地区優生保護審査会がその存否について審査することとされていたのであるが、現行法では右各号の事由についての判定をすべて指定医師に委ねていることからうかがわれるように、指定医師たるべき者は、格段の専門的知識、経験、識見、人格面における品位等を備えていることが要求されようし、また人工妊娠中絶という母体に重大な影響を与える可能性のある手術を行なうのであるから、そのための十分な技能、経験と医療設備を有することが、法の趣旨から要求されることとなると解される。〈証拠〉によれば、日本医師会が作成した優生保護法指定医師の指定基準モデルに準拠して、被告医師会は、前記指定基準(宮城県医師会優生保護法指定医師指定基準)を作成しており、これによれば、医師の人格、技能及び設備の三点を考慮して指定すべきものとして、後二者については、具体的な規定を置いていることが認められるが、このことは、右の法の趣旨を具体化したものとして理解される。

してみると、指定の撤回は、指定医師として法の要求する人格面、技能面及び設備面のいずれかにおいて適格性を欠くに至り、そのため、被処分者が撤回によつて被る不利益を考慮してもなお、撤回によつて実現される公益上の必要性が存する場合に、これをなしうると解すべきである。指定基準五項には、「重大な不適格条件が発生した場合には、定期的更新を待つことなく直ちに再検討を行なうものとする。」と定められており、右「再検討を行なう」ことの中には撤回も含まれると解されるところ、右規定は、この理を確認したものと考えられる。

4  ところで、法が前記のとおり、指定の要件について明文の規定を設けていないことからすると、指定の要件の認定については、医師会の合理的な裁量に委ねられているものと解される。すなわち、法の要求する人格面、技能面及び設備面からの適格性の有無についての判定は、事柄が医師としての倫理の問題にかかわり、また専門的技術的な判断を要求されることから、これを医師をもつて構成される医師会の判断に委ねたものと考えられる。してみると、指定の撤回においても、当該医師が指定医師として法の要求する適格性を欠くに至つたか否かの判断について、また撤回により右医師が被る不利益を考慮してもなお撤回をすべき公益上の必要性があるか否かの判断については、医師会の合理的裁量に委ねられているものと解するのが相当である。

そして、前叙のと〓指定は講学上の許可には当〓むしろ特許的性質を有す〓行政処分とみるべきであり、したがつて指定の撤回についても同様に解されるのであるから、裁量行為たる指定ないしその撤回の右のような特許的性質に鑑みれば、指定の撤回に関して医師会がなすべき前記各判断については、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全く事実の基礎を欠くか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかである場合に限り、右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして違法であるとすることができるが、そうでない限り裁判所は、医師会の右判断に基づく指定の撤回を違法として取消すことは許されないものというべきである。

なお、医師会がその裁量に任された事項について裁量権行使の準則(すなわち指定基準)を定めることがあつても、このような準則は、本来、医師会の処分の妥当性を確保するためのものであるから、処分が仮に右準則に違背して行なわれたとしても、原則として当不当の問題を生ずるにとどまり、当然に違法となるものではない。処分が違法となるのは、右に述べたとおり、それが法の認める裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつた場合に限られるのであり、また、その場合に限り裁判所は当該処分を取消すことができるものである。

5  このような見地から、まず、本件取消処分に至る経緯を明らかにすることとする。

前記1において確定した事実と、〈証拠〉とを総合すると、本件取消処分に至る経緯は、以下のとおりであると認められ〈る。〉

(一)  原告は、昭和二五年一〇月医師免許を付与され、昭和三三年一〇月以降、肩書地において、産科、婦人科、肛門科を開業している医師であり、昭和二八年以降、被告医師会から指定医師の指定を受け、昭和三二年七月から一年間原告が秋田県医師会に所属した時期を除き、二年毎に指定の更新を受け、最終的には、昭和五一年一一月一日付をもつて指定を受けた。

(二)  原告は、右開業以来昭和四八年四月までの間に、人工妊娠中絶の時期を逸しながら中絶を求めて来た妊婦に対し、出産を勧めて出産させたうえ、出生した嬰児が子供を欲しがつている他の婦女から出生した旨の虚偽の出生証明書を作成することによつて、戸籍上も右婦女の実子として記載させ、右嬰児を右婦女に実子としてあつせんする、いわゆる赤ちやんあつせんを約一〇〇例行なつてきた。

(三)  原告は、昭和四八年四月一七日及び一八日に、宮城県石巻市を中心に発刊されている石巻日日新聞及び石巻新聞に、それぞれ、「急告 生まれたばかりの男の赤ちやんを我が子として育てる方を求む。 菊田産婦人科」との新聞広告を掲載した。

(四)  原告は、同月一九日右新聞広告を見て訪ねて来た毎日新聞及び朝日新聞の各記者に対し、原告の赤ちやんあつせんの事実及びそれが約一〇〇例あつたことを話し、もらい親の実子として戸籍に記載されるような法改正の必要があるので、新聞紙上で大きく取扱つてもらいたい旨要請し、その結果、翌二〇日の毎日新聞朝刊で右事実が大々的に報道された。

(五)  原告は、同月二四日第七一回国会参議院法務委員会において、参考人として、妊娠七か月以上になつて中絶してほしいと原告を訪ねて来た妊婦に対し、もし自分がこれを断わればその妊婦がいずれ子殺しをするのは必至であるから、これを防ぎ胎児ないし嬰児の生命を救うため、また生母の戸籍を汚すこともなくもらい親の希望にもそうので、違法と知りつつ虚偽の出生証明書を作成し、子供のほしい夫婦に実子としてあつせんし、その数が約一〇〇人に及ぶことを供述したが、その際、佐々木静子議員から、右赤ちやんあつせんについて、実子として戸籍上記載されても、後にこれが虚偽と判明した場合には、子供には何らの法的保障もなく、法律的には極めて不安定な地位に子供を置くことになるなどの問題点が指摘された。

(六)  原告は、右法務委員会における供述当時、法律的知識には乏しく、いわゆる特別養子制度等の具体的な法改正の方向を考えていたわけではなかつたものの、その直後、特別養子制度を研究してきた明治学院大学教授中川高男にその制度を教示され、以後、実子特例法と称して特別養子制度にそつた法改正運動に取り組んだ。

(七)  原告は、前記のとおり、参議院法務委員会において、赤ちやんあつせんの事実を公表し、法改正の必要性を世に訴えて一応の目的を達し、また、昭和四九年三月二四日、指定医師の団体である社団法人日本母性保護医協会の全理事会において、今後違法行為は繰り返さない旨言明しておきながら、その後も、中絶時期を逸したにもかかわらず中絶を望む妊婦は、胎児ないし嬰児に対して強い殺意を抱いているので、実子特例法の制定までは、実子あつせんの方法によつてしか嬰児の生命は救えず、これは緊急避難行為であつて違法ではないとして、実子あつせんを続け、結局、昭和四八年四月以降さらに約一二〇人の実子あつせんを行なつた。

(八)  そのうちの一例である昭和五〇年一二月一八日ころ、原告方医院で出生した嬰児にかかる実子あつせんについて、原告は、昭和五二年八月三一日付で愛知県産婦人科医会会長長山原秀から、医師法違反等の事実で仙台地方検察庁に告発された。

(九)  昭和五二年一〇月二五日付の河北新報で、原告が、そのころ同新聞の記者に、原告の自宅で、「実は違法という形での赤ちやんあつせんをやめようと思つているんです。告発騒ぎのエスカレートは実子特例法の運動に必ずしもプラスにならないし、子供をもらつた家庭もおびえている。今後は国際奉仕事業団を通じて国際養子制度に協力したい。」と述べた旨報道された。

(一〇)  前記告発の結果、原告は、公訴事実の要旨を「原告が、(1) 昭和五〇年一二月一八日ころ、原告方医院において、A女に対し、自ら同女の出産に立ち会わないのに、同女が男子を出産した旨の出生証明書を交付し、(2) A夫婦と共謀して、B女が出産した男子をA夫婦の実子として届出ようと企て、同月二二日ころ、A女が市役所係員に、右男子がA夫婦間の長男として出生した旨の出生届と前記出生証明書を提出して虚偽の申立をし、情を知らない右係員らをして公正証書の原本である戸籍簿にその旨不実の記載をなさしめ、これを真正なものとして市役所に備えつけさせて行使した。」とする医師法違反、公正証書原本不実記載・同行使の罪により、昭和五三年三月一日、仙台簡易裁判所から罰金二〇万円に処する旨の略式命令を受け、右裁判は正式裁判に移行することなく確定した。

(一一)  仙台地方検察庁検事正は、同日、右略式命令が発せられたことに伴い、要旨次のような談話を発表した。

「本件については、事件の特殊性にかんがみ、あらゆる角度から慎重に捜査を遂げた結果、菊田の行為は、医師の交付する証明書や戸籍簿に対する公の信用を著しくそこなうものであり、同人はそれが違法であることを承知のうえ、あえて多年にわたり、安易に、同種犯行を繰返してきたものであつて、同人の行為を正当化するに足る事情も認め難く、法秩序維持の見地から、厳正な処罰を求むべきものと判断した。

しかしながらその動機において、思慮に欠けるものがあつたとはいえ、望まれずして生まれた児の幸福をはかる意図にでたものであつたと認められること、現在はその非を深く反省して、今後は絶対にこの種の行為をしないことを誓つていること、その他諸般の事情をも勘案して、罰金刑を選択し、略式命令請求の手続をとることとしたものである。」

「なお、いうまでもないことではあるが、この種の行為は単に違法であるばかりでなく、種々の弊害を生じ、子どもの将来についても安定した幸福を確保しうるものではないから、今後検察としては、かかる違法行為に対し、厳重な態度をもつて対処する所存である。」

(一二)  原告も、同日、弁護人佐々木泉との連名で、別紙記載のメッセージを発表し、所信を明らかにした。

(一三)  前記日本母性保護医協会の宮城県支部は、昭和五三年三月二日付の書面で、被告医師会長松川金七に対し、原告の優生保護法指定医の指定を取消すよう要望し、被告医師会は、同月五月二四日付、同月二六日到達の内容証明郵便で、原告に対し、昭和五一年一一月一日付でなした指定を取消す旨の本件取消処分をした。その理由の要旨は、(一〇)記載の罰金刑の確定と、確定した違法事実に徴するとき、原告は優生保護法指定医師として不適当と認められる、というものであつた。

(一四)  原告は、昭和五三年六月六日、本件取消処分に対し、不服(異議)の申立をし、被告医師会は、その内部に置かれた指定取消に関する不服審査委員会に諮問し、同委員会は、原告の出頭を求めてその弁明を聴いたうえ、要旨以下(1)ないし(8)の理由により、本件取消処分は適当であり、原告の右申立は棄却さるべきである旨、同年九月二六日付の答申書により被告医師会長に答申した。

(1) 被告医師会は、指定を取消す権限を有する。

(2) 指定基準第五項後段の「重大な不適格条件が発生した場合には直ちに再検討を行なう」との規定は、指定取消とその要件を定めたものであり、各指定医師は日本医師会、日本母性保護医協会の通達・指導により重々これを承知しているはずである。

(3) 原告は、開業以来、昭和四八年四月までの一五年間に約一〇〇例以上の赤ちやんあつせんを行なつてきた。

(4) 原告は、前記(一〇)のとおり、罰金二〇万円の刑に処せられ、その刑が確定した。

(5) 原告は、わずか一件の赤ちやんあつせんが略式で起訴され、罰金刑にとどまつたことをもつて自己の行為の違法性が軽少、微弱であることの証左と考えているもののようであるが、仙台区検察庁が一件のみの略式起訴とした理由は、原告の行為の違法性が軽微であつたからではなく、ひとえにもらい親と子の家庭の平穏を乱すまいとする高度の配慮に基づいたものであつたと判断する。

(6) 原告は、自己の行為を人道主義的善意に出た緊急避難行為であると主張するが、動機においてたとえ人道主義的であろうとも、安易に法を無視する態度は絶対に許されるべきではない。とくに原告が、地元石巻新聞に赤ちやんあつせん広告を定期的に出した行為は緊急避難行為としてやむをえずやつたものとは認めがたい。

(7) 原告は、自分が行なつてきた行為は何ら不道徳、破廉恥なものではなく、むしろ医師として、指定医師として真剣にその職分を遂行しようとしたものであつて、指定医師としての品位に欠けるとは到底思えないと主張するが、原告の行為が現行法秩序の下において実質的に違法な行為であつたことに変りなく、医師及び指定医師たるものは、その職務を行なうについてまず何よりも法を遵守し、正しい医業を行なうよう努めなければならないと考える。

(8) 原告は、日本母性保護医協会本部及び同宮城県支部において、昭和四八年五月一七日以降、違法行為を繰り返さないと数回にわたり誓約しながらいぜんとして違法行為を続けたことは、指定医師として適格であるとは認めがたい。そこには違法行為をしたことに対する率直な反省が微塵も感じられないと判断する。

(一五)  被告医師会は、右答申を受けて、昭和五三年九月三〇日付宮医発第三五八号の書面をもつて、右答申と同じ理由により、原告の不服申立は理由がなく、これを却下する旨の決定をなし、右決定は、同年一〇月二日原告に送達された。

判旨6 前記(一三)及び(一四)の妻によれば、本件取消処分の直接の理由は、前記罰金刑の確定と確定した違法事実に徴するとき、原告は指定医師として不適当と認められるというのであるが、その実質的な理由は、前記(一四)の(3)ないし(8)に示されていると理解され、結局、原告が指定医師として人格面でその適格性を欠くに至つたとし、原告の被る不利益を考慮してもなお指定の取消(撤回)をすべき公益上の必要性があるとするものであると解される。

ところで、前記(一四)の(6)の理由中、原告が地元石巻新聞に赤ちやんあつせん広告を定期的に出したとする点は、本件全証拠によつてもこれを認めるに足りず、また同(8)の理由中、昭和四八年五月一七日に原告が違法行為を繰り返さないと誓約したとする点は、これにそう証人村井秀夫の証言は、〈証拠〉と対比すると、にわかに採用しがたく、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

しかしながら、これらの点を除けば、被告医師会の判断に、事実上の根拠に基づかない点はなく、また、前記(二)ないし(一二)の経緯に照らせば、前記(一四)の(5)ないし(8)で示されている、事実に対する評価が明白に合理性を欠いているとは認められず、原告が指定医師として人格面で適格性を欠くに至つたものと判断した被告医師会の判断の過程に、明らかに不合理な点を見出すことはできない。

さらに、撤回の必要性の点について検討する。

原告は、従来、中絶時期を逸して中絶を求める妊婦は、胎児の生命を断とうとする意思が強固であり、医師がそのまま放置すれば近いうちに胎児の生命が断たれるのは必至である旨主張してきたが、〈証拠〉によつても、右主張は、必ずしも十分な事実の裏付けのある主張であるとは認めがたい。

このことと、先に認定した本件の経緯とに照らすと、原告としては、少なくとも昭和四八年四月に参議院法務委員会で実子あつせんの事実を公表し法改正の必要性を世に訴えた後は、言論によつてのみ所期の目的である法改正を図るべきであつたと考えられるのに、その後も原告は、実子あつせんの弊害を指摘されながら、また自ら日本母性保護医協会全理事会で今後違法行為はしない旨言明しておきながら、たとえ昭和五二年一〇月ころ以降は実子あつせんを行なつていないとしても前記昭和四八年四月から右昭和五二年一〇月に至る約四年半の間に、さらに約一二〇例にものぼる違法な実子あつせんを、数々の解決されなくてはならない疑問点に対する何らの法的保障のないままに、それが緊急避難行為であるとの見解のもとに、現行法秩序に対するいわば挑戦の姿勢で強行してきたものであつて、たとえそれが追いつめられた気持の妊婦に直面した臨床医としての苦悩と善意に出たものであつたにしても、より高度な識見人や人格面における品位を要求される指定医師の所為としては、厳しく指弾されるのもまたやむをえないところであると考える。

なお、指定によつて指定医師が事実上経済的な利益をあげうる結果となるにしても、それは指定の副次的な効果にすぎないものというべきである。

右によれば、被告医師会が原告の被る不利益を考慮してもなお指定の取消(撤回)をすべき公益上の必要性があるものと判断したことについても、その判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかであるとは認めることができない。

他にも、被告医師会の右各判断に基づく本件取消処分につき、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたことをうかがわせるに足りる事情の存在を認めうる証拠はない。

そうすると、本件取消処分は、この点において違法であるということはできず、請求原因1(六)(3)の原告の主張は採用できない。

7  本件取消処分には、原告に事前に弁明の機会を与えなかつた手続上の違法があるとの主張について判断する。

被告医師会が、本件取消処分に先立つて、原告から事情を聴取するなど弁明の機会を与えなかつたことは、被告医師会との間では当事者間に争いがなく、被告国との間では、〈証拠〉により、これを認めることができる。

ところで、法には、医師会が指定の徹回を行なうについての手続を定めた規定はないから、撤回に関し、どのような手続を採用するかは、医師会の裁量に委ねられているものと解される。もとより、手続について裁量権が認められているからといつて、恣意が許されるわけではなく、公正な手続によることが要請されるところである。

しかし、本件においては、事前に弁明の機会を供与しなければならないことが法定されている場合とは異なり、事前に弁明の機会を与えなかつたことの一事によつて、直ちに本件取消処分が手続上違法となると解するのは相当でなく、要は、本件取消処分に関する手続が、実質的にみて、公正手続の保障の要請を満たしているか否かが問題となるのであつて、その手続が公正手続の保障の見地からみて著しく妥当性を欠く場合にのみ、裁量権の範囲をこえ又はその濫用があつたものとして、違法となると判断すべきものと解される。

右の見地から本件をみるに、前記認定事実及び〈証拠〉によれば、原告は、本件取消処分に先立つて弁明の機会を与えられなかつたものの、被告医師会の内規である指定基準の定めに従つて、本件取消処分に対し不服申立をし、その審査機関である不服審査委員会において、事後的ながら弁明の機会を与えられており、そのうえで右不服申立を却下する旨の決定がなされ、本件取消処分が維持されたことが認められる。

右事実及び指定が、前記三2及び6で述べたように、単なる授益的な処分とは考えられないことに照らすと、本件取消処分に関する右の手続が、公正手続の保障の見地からみて著しく妥当性を欠くものとは認めがたいというべきである。なお、原告が引用する判例は本件と事案を異にし、適切でない。

以上検討してきたとおり、原告が、本件取消処分の違法事由と主張するところは、すべて採用するに由なく、本件取消処分は適法というべきである。

四本件却下処分の適法性について検討する。

1  請求原因2(一)の事実は当事者間に争いがない。

2  原告は、本件却下処分は、昭和五一年一一月一日付をもつてなした従来の指定を昭和五三年一〇月三〇日限り取消す旨の処分と同一にみるべきであると主張する。

しかしながら、右主張は、原告に対する指定の効力が昭和五三年一〇月三〇日まで存続していることを前提にしているところ、右指定は、同年五月二四日付の本件取消処分によつて撤回され、かつ本件取消処分は適法有効であるから、右主張は、その前提を欠き失当である。

3  原告の同年一〇月一日付の指定申請(以下「本件申請」という。)は、新たな指定の申請とみるべきものである。

前記三4で説示したとおり、指定の要件の認定については、医師会の合理的裁量に委ねられていると解される。〈証拠〉によれば、被告医師会は、その内部機関である指定医師指定審査委員会に、本件申請について諮問し、右委員会は、本件取消処分及び前記不服申立却下決定と同じ理由によつて、不適格である旨答申し、被告医師会は、右答申と同じ理由により、原告が指定医師として不適格である(原告の被る不利益を考慮してもなお本件却下処分をするべき公益上の必要性がある)として、本件却下処分に及んだことが認められる。

本件取消処分に関し、被告医師会が、原告は指定医師として適格性を欠く(原告の被る不利益を考慮してもなお指定の撤回をすべき公益上の必要性がある)と判断したことについては、その判断が社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとは認められず、したがつて、本件取消処分が適法であることは、前記説示のとおりであり、本件取消処分がなされてから本件申請に至るまで日が浅く、原告の側に格別の事情の変化が認められないことを考慮すると、本件申請に対し、被告医師会が、本件取消処分の際と同じ理由によつて、原告がなお指定医師として不適格である(原告の被る不利益を考慮してもなお本件却下処分をするべき公益上の必要性がある)と判断したことについて、不合理な点は見出しがたいというべきである。

よつて、本件却下処分は適法であると判断される。

五以上検討してきたとおり、本件取消処分及び本件却下処分はいずれも適法であるから、これらの違法を前提とする被告らに対する各損害賠償請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がない。

六結局、原告の請求は、いずれも理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(櫻井敏雄 八木正一 富岡英次)

〔メッセージ〕

一 菊田医師は、去る八月三一日付で愛知県産婦人科医会山原秀から医師法違反等の事実で仙台地検に告発を受けておりましたところ、本日をもつて同地検の取調が一切終了しました。これを機会に私達は国民の皆様に事件の問題点について御理解を頂くためにその所信を表明したいと思います。

二 優生保護法によつて認められている妊娠中絶(現在は六ヶ月まで)を逸したのちに、中絶を求めて産婦人科に駆け込んでくる女性は経験上かなりの数にのぼります。中絶の理由はいろいろありますが、典型的なのは、婚姻外において妊娠した女性が世間態を恥じ、あるいは男性に捨てられたため今後の新しい生活を考えた結果、その胎児を戸籍上自分の子としたくないという場合です。彼女は追いつめられても何日も何ヶ月も悩んだ末産婦人科医を訪れるのですから、胎児の生命を断とうとする意志は極めて強固であり、一医師が思いとどまるよう説得しても翻意することは殆んどあり得ません。その医師が中絶を断わると、彼女は再び他の医師を訪ねて同様の依頼をするか、もしくはコインロッカー事件のように出産した上で自ら殺害するのです。従つて右の場合医師が女性の要求をことわり、そのまま放置するとすれば、近いうちに胎児の生命が断たれることは必至です。

このような女性は、その胎児を出産後自分の子として届け出た上養子に出すということをも拒否します。医師が法律上養子としてあつせんすることを提案しても殆んど無意味です。説得できる唯一の手段は、出産後親子関係を断絶する途のあることを教え、他人の実子としてあつせんすることを約束することです。自ら母体をいため、胎児の生命を好んで断つという女性はおりません。やむにやまれず子殺しを行うのです。だから出産しても、親子関係が法律上も、社会生活上も断絶されることが保障されれば彼女は喜んで出産するのです。彼女たちが求めるのは中絶(子殺し)ではなく、子捨てなのです。

三 右のような子殺しから胎児の生命を守るために、ソビエト、フランス、ドイツ、イギリス、イタリー、オランダ、デンマーク、ポルトガル、アメリカ、中国、インド、スペイン、ブラジルなどの諸外国は既に実子特例法を制定し、家庭裁判所などの公的機関が介入し、貰い親の子として出生証明書を発行し、真実の親子関係を証明するものは、ファイルに入れておき必要があれば関係者にはいつでも閲覧させるという制度を採用しております。残念ながら日本では既に昭和三四年に法制審護会で採り上げながら、未だに右特例法は制定されておりません。血縁尊重、養子偏見の根強い日本においてこそ本当に実子特例法が必要なのです。

右のような子殺しは日本の現行養子制度ではまかないきれないところから生ずるものです。目前に迫つた子殺しをくいとめるには、生みの母と子を法律上断絶し、貰いの親の実子として届けること以外には途はありません。

他方において日本では一〇組に一組の夫婦が子宝に恵まれず、子供を欲しがつております。しかも、その多くは養子よりも実子としての取扱いを希望しております。

生みの親に子捨ての道を与え、子供のない夫婦に子供を与える。そして胎児、子供の生命を守り、子供に良い親を与える。これが実子特例法なのです。

四 菊田医師は、長い間なんとかして胎児の生命を救い、そして捨てられた子に親を与えたいと念願して“赤ちやんあつせん”を行なつてきました。現行法のもとで、右のような赤ちやんの生命を守るためには、養親が生んだという虚偽の出生証明書を書かざるを得ません。地球よりも重いといわれる生命、放置すれば密殺される危険が目前に迫つている生命、これを救うにはどうしても虚偽の出生証明書を必要とします。もとより菊田医師は好んで虚偽の出生証明書を書いたのではありません。実子特例法の制定のため献身的な活動をしながら、それが制定されるまで、赤ちやんの生命を守るためのやむを得ない手段として右証明書を作成してきたのです。日本においても早急に右特例法を制定しない限り胎児は再び闇から闇へと葬むられて行くことでしよう。

五 次に、本件告発は、夫の愛人の子を不妊症の妻の子として届けたという事実を前提としているらしく、一部にはそのような報道がなされましたが、捜査の結果全くそのような事実のないことが既に明らかになつていると思います。

六 菊田医師は、本件告発を機会に、形式上違法とされている虚偽の証明書は一切発行せず、現行法上許される範囲において、国際養子、国内養子の制度を活用して赤ちやんのあつせんを行うこととしました。これは決して従来の信念を変えたわけではありません。今後第二、第三の告発により、赤ちやんを得た家庭が事件にまきこまれ、平和な家庭、子供の幸福が破壊されるおそれのあることを憂え、又実子特例法制定運動が後退することを懸念し、右特例法が制定されるまでは、摩擦、紛議を起こさない方法で人命尊重という所期の目的を達成したいと考えたからです。

菊田医師、いな全国の大部分の産婦人科医は一日も早く実子特例法が制定されることを待ちわびております。立法当局におかれてもこれを機会にすみやかに右特例法を提案、採択されるよう切望する次第です。

国民の皆様におかれては以上のような菊田医師の善意から出た、人道主義的行為を充分御理解下され、今後も絶大なる御支援を賜わりますようお願いします。

七 検察庁は本日、本件告発事実のみについて仙台簡易裁判所に対し、略式手続によつて菊田医師を起訴しましたが、その他の被疑事実については一切不起訴処分とすることとなりました。略式起訴とはいえ菊田医師の心境にはまことに複雑なものがありますが、赤ちやんを得た家庭の平和を守るために、かつ、一日も早く実子特例法が制定されることを願いつつ、右略式裁判に服することといたします。

われわれは、仙台地検が告発以来今日まで約半歳にわたり充分事実関係を解明し、かつ、家庭の平和を破壊しないよう慎重裡に捜査を進められたことに深く敬意を表するとともに、大局的見地に立ち、右のような処分をされたことを高く評価するものです。

昭和五三年三月一日

医師 菊田昇

弁護人 佐々木泉

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